今日も明日も山のこと。

山が好きな25さい。アウトドアメーカーで商品企画してた。山や自然と生きていきたい。

山小屋生活のことつらつら。

4月にいわゆるサラリーマンをやめて、6月の中旬からは山小屋での生活がスタートしました。

山小屋生活も1ヶ月半がすぎましたので、自分への忘備録として。

 

とりあえずは、山小屋生活は思っていたより大変です。

 

朝が早いとか、拘束時間が長いとか、給料が安いとかそういうのは覚悟して来てたのではあんまり苦ではないし、そもそもお金を稼ごうと思って来たわけでもないので。

 

私が山小屋に入った理由は、山の世界との関わりをもっと強く持ちたかったから。

 

山の世界には

どんな仕事があって、

どんな人がいて、

どんなことが行われているのか。

 

それを確かめるために山小屋に入りました。

 

上に書いた目標は自分の中では結構達成できているといか、

学ぶことも多くて、自分の糧になっていると思う。

 

だけれどもそれ以外の要素でのストレスが強すぎる。

 

私は人との集団生活も慣れている方で

(もともとシェアハウスで15人くらいで生活もしていたし、

ゲストハウスでの住み込みで働いた経験もある。)、

人と暮らす、という行為も結構好きな方だし、誰とでも仲良くなれるタイプなので問題ないだろう、と。

 

ここに来て思ったのは、一緒に暮らす人はやっぱり好きな人じゃないとつらいわ!!!!

ってこと。

というか適度な距離感って大切。

 

今の生活で1番のストレスは、休憩時間とご飯の時間。

10人以上もいる関係者(管理人、バイト、警備隊、その他の方達)が、毎食揃っていただきます、とごちそうさまをしている。

 

私はお酒を飲まないこともあって食べ終わるのは早め。

それでも、上の方達が飲んでいたら、じーーーーと座ってただ待つ。

 

私も一応会社勤めをしていたので、上司と飲みに行くこともあるし、

飲み会も嫌いな方ではないです。

 

まだまだ仕事も残っているし、お客さんの食器を洗ったり、明日の朝食の準備だって早く済ませて、自分の時間が欲しい。

 

食事の時間の話も楽しい話なら大歓迎だけれど、ちょっとした愚痴っぽい話や、なんどもなんども聞いた話を愛想笑いしながら聞く時間の無駄さよ。

コミュニケーションなんて強制されてとるもんでもないし、

話したい人とは自分の休み時間使ってでも話すし、

「さあ!みんなでご飯食べて親交を深めよう!」とでも思っているのだろうか。

 

今時そんな時代じゃないし、これが下界の会社だったら

パワハラ云々でえらいこっちゃだよーーーー。

 

あとは、管理人というかうちの小屋で一番えらい人が、

すぐに声を荒げること。

 

確かに山小屋という特殊な環境では、道具の操作を一つ間違うだけで、

大きな事故に繋がりかねない。

すぐに修理屋さんが来てくれるわけではないし、物の扱いには

細心の注意を払わなくてはいけない。

 

だから小さなミスも許されない場合が多々ある。

その度に大きな声で誰かを叱る場面によく出くわす。

 

私が直接言われてなくても、それを聞いてるだけで、私の体は蝕まれて行くのがわかる。
溜め込まないことは確かに大切。

 

でもそれを誰にも迷惑をかけない形で発散させるのが大切なんじゃないの、、、?と。

 

もちろん、山小屋を経営して行く上での私には見えていない苦労や、大変さ、

数々のバイトを回して行く大変さもあると思う。

尊敬したいけど、できない状況ってしんどい。

 

あとは、こういうストレスを違う小屋で働く仲間たちも思っているということ。

今期はなんの巡り合わせかわからないけど、友人で山小屋で働き始めた人が4、5人いる。

そのうちの何人かと話していて、同じように生きづらさを感じていた。

 

みんな条件的なこと(休暇や、給与など)は納得して来ているが、

それ以外の要素で、しんどさを私と同じように感じている。

 

みんな山が好きで、

幸せに暮らしたいのに、それができてない状況。

 

働く環境、働き方が古い・追いつかない

→人材が獲得できない

→サービスの質が落ちる

→小屋を続けられない

 

もったいなすぎるし、このままでは山の世界にいい人材が残っていかない。

そういう危機感もすごく感じている。

 

だから私はやっぱりここで感じたことを、糧にして、

大きな意味で山の世界に還元していかなくちゃと思っているのです。

 

大好きな山をもっと素敵な場所にしたいし、

そこで働く人も、訪れる人もみんなで幸せになりたい。

 

山の世界の古い体質や文化を尊重しつつ、

私たちみたいな若い世代が、

できること、すべきことをを

還元したいなぁ、と思う日々です。

 

でもとりあえずは、現状のこの状況が続くと、体調を崩して下山しかねないので、どうにかしたい今日この頃です。

 

胃痛と頭痛と戦う日々から解放されたいっ!!!笑

無職になりました

一昨日、最終出勤日で、約2年勤めていた会社を退職することになりました。

 

いまの正直な気持ちを、ちょっと残しておこうかと。

 

わたしがいたのはアウトドアのメーカー。

商品開発や企画の仕事をしていました。

 

もともと大学もものづくりがすきで

企画やプロダクトが勉強できる学部に。

 

新卒で企画の仕事をさせてもらえたのはいい経験でした。

すごく大きい会社ではないので、いろんなことを任せてもらえたし、好き勝手やらせてもらった印象。

 

ただ、一年が経つころから、

この会社にいる意味とか、この会社で開発ということをすることの意味とかが、気になり出した。

 

わたしが一生かけて成し遂げたいことはこれなんだろうか。

例えば明日人生が終わるとして、わたしは仕事に行きたいと思うか。

 

答えははい、ではなかった。

 

その頃にはわたしはもう山の世界にどっぷりで、

山と関わる仕事とか、

もっと山のことを素直に愛して関われることを

したいなぁと思っていたのです。

 

メーカーというのは物をつくって

消費者に買ってもらってなんぼの世界で。

 

他のメーカーと価格を競って、

そのために海外の工場を探したり、

工場に交渉したり。

 

あ、わたしがつくりたいものってこんなものだったっけ?

というのが物を作っていてずーっと思っていたのです。

 だから自分の作った商品が売れても

あんまり素直に喜べなくて。

 

自然が好きなはずなのに、

その自然を破壊する消費行為を促すことでしか

いまのメーカーにいる限り、

お金を稼げないのだ。

 

ということに気がついてしまったのです。

 

気づいてしまったらその事実は

わたしのなかで隠せないほどに大きくなってしまって。

 

自分に嘘はつきたくない、

と思って仕事をやめることにしました。

 

まだまだこれから先のことはわからないです。

 

でも自分がいいなぁと思った選択肢を

とり続けることで、

明日は今日よりすこしだけ

いい日なる気がしているのです。

 

好きな人と過ごす時間を大切にしたり、

働くことをやめて、

お金を払って人に任せていたことを

少しずつできるようにしていきたいと思います。

 

んー、相変わらず脈絡ない。。。

さあさあ、これからどうなることやら!

 

でも、笑顔でワクワクしながら

進んでいきたいと思います。

自然な選択とは

最近物事にはちゃんと理由がある、ということを思うようになりました。

 

先日わたしが骨折をして大好きな山に行けなくなったのも、

 

・わたしに立ち止まって考える時間が必要だった

・ほんとうはもっと危険な状態になっていたかもしれないのがただの骨折で済んでいる

・骨折をして街にいる時間が長くなって本来山に行っていたら出会えてないものと出会う必要があった

 

などと、思うのです。

 

ある人に本を勧められたけど、その時は気が進まなかったり、

買ってみたものの、ちょっと読んだだけで飽きてしまったり。

 

でも、ふとした時にその本になんだか呼ばれている気がして読んでみたらすごく自分の中にすーっとその言葉たちが入ってきたり。

 

これってすべて自然なことなのだと。

 

モノも、ヒトも、コトも、

すべてはそれが必要な時にやってくる。

 

 

以前に、とっても大好きな人から

「かなちゃん、これ読んでみたら?」

と勧められていた一冊の本。

 

買っていたものの、ずっと本棚で眠っていたのですが、なぜだか急に読みたくなって読みました。

 

そうすると、なんだかすごくいいなぁと思ったのです。

 

 この本に出会うタイミングが今でよかった!

 

わたしの中の自然に目覚めて生きるのです

www.amazon.co.jp

 

あなたはあなたのタイミングで読みたいと思った時に読んでみてください。

 

人生に寄り道が必要なのか

この前ある人の話を聞いていて、

 

「蟻の話しってます?」

といったので働きアリの法則のはなしかと思ったら違った。

 

蟻のなかにはよか働くやつと働かないやつがいる。

 

みんなが一直線に餌に向かうコロニーと、

寄り道して、一見関係ないところに向かう蟻がいるコロニーを比較したら、

寄り道してるやつがいるコロニーの方が生存確率が高い。

 

だから、人生も寄り道していいんじゃない?

 

 

わたしのいままでの人生は多分寄り道ばっかりだ。

好きなことして、おもしろそうなことに次から次に

飛び付いて。

 

だけど、最近そういう感覚がちょっと薄れ始めていたことに、きがついた。

 

人生短い!と思って焦っていたところがあったけど、

寄り道したらまだ私が出会えてない

素敵な何かがそこにあるかもしれない

 

こっちの道、気になるな、と思ったときに

いつでもそっちにいける私でいたいなぁ。

 

飽き性ってことはいままでの人生の経験で

わかってきたし、

そんな自分も愛してあげよう。

周りに自分の想いを伝えること

先日自分のインスタに

「一眼レフが欲しいなぁ

あ、誰か使ってない一眼レフとかあったら

教えてください。」

 

的なことを書いてました。

 

私は大学が芸術系寄りの大学だったので、

一年生の頃に

 

一眼レフを首から下げる=芸工生の仲間入り

 

みたいな風潮がありまして。(笑)

 

そのため校内の一眼保有率は高く、

サブカル女子、サブカル男子だらけでした。

 

しかしその後その一眼たちが埃をかぶっている同級生などを目にしていました。

 

(あっ、もちろん持ってるだけじゃなくて

意欲的に制作活動に使ったりしてる子もたくさんいます。)

 

あとはガチ勢の子たちがメイン機を変えて

サブ機いらなくなったから譲ってもいいよーとかも期待して、

その界隈から連絡があったら嬉しいなーくらいの

気持ちで、まぁダメ元で書いてたわけです。

 

そうしたら1日後ぐらいにフォロワーさんから連絡があった。

 

その方は個人でディレクション業務などをやっている方で、

先日コンタクトをとってお会いしたばかりの方。

 

「2台埃かぶってますよーー。」

 

とのご連絡。

 

 

こんなにも嬉しい申し出はありません。

  

と、ここまでは前置きで!

(前置き長いな)

 

自分の想いとか、

こういうもの欲しい、とか

こういう未来を作りたい、とか

こういうことをしたいんだ、とか

 

そういうのを発信するのってすごい意味のあることだと思っていて。

 

私がしたことは

あるものがほしくてそれを募集する、という行為で

一見すれば私が物乞いしてるようにも見えるかもしれない。

 

けれど、譲ってもいいよ!っといってくれ方は

多分そんな風には思っていなくって、

「ずっと使わずに埃をかぶって、処分するのももったいないと思っていて、この子に再び日の目を浴びる日があるならば!」

 

と思って、譲ってもいいよ、と言ってくださったのだと思うのです。

 

お互いうれしいし、いいやり取りの形だと思います。

 

これがもっと大きな

「こういう事業をやりたいんだ!」

とかになって来ると、

今のクラウドファンディングとかに繋がってくるんだと思います。

 

それを実現したい人がいて、

その実現した未来をいいなぁと思う人が応援してくれて。

 

自分が発信することで、

それを応援してくれる人とか、

じゃあこういうことしてみたら?とか

そういうのが自分の周りに集まってくるのではないかと。

 

それって発信しないと周りの人には伝わらないしね。

 

 

 

わたしは周りの人にいつも助けられてばかりで。

 

わたしを作ってくれた周りの人たちを

私の人生をかけて

ハッピーにするのがわたしの目標です。

 

でも、どうせならわたしひとりで目標を

目指すんじゃなくて

みんなで目指したいなと思っています。

 

 

あ、でもむやみやたらに

「こういうことしたいんだ!」というのは

胡散臭くなっちゃうので、

ここぞというときに言うのがいいのではないか、

というのがここ数ヵ月で思ったことです。

言う相手も選んだ方がいい。(笑)

 

 

もっと山に遊びに来てほしい

山に登るようになって、毎週好きなことを楽しむという感じの私がそんな生活を一年ちょい続けて思ったこと。

 

それは、

 

 

もっと若い人は山にきたらいいのに!

 

ということ。

 

会社勤めをするようになってから、回りの友達の土日の過ごし方は結構大きく別れるようになる。

 

①土日は家から出ずにほとんどごろごろして過ごす

もしくは

②土日ほとんど家におらず外に出ていく人

 

わたしは学生時代は①でもあり②でもあった。

 

漫画とかゲームとかそういうのもすきだし、アニメ見てたら一日終わってた、とかもまぁ日常茶飯事。

 

その一方でサークルのみんなとどっか行くぞ!とかなったら外に出てドライブいったり、みたいなこともよくあった。

というか大学生って多分みんなこんな感じの生活してると思う。

 

会社勤めをするようになってからはそれが顕著に出る。

平日がっつり働いて土日まで動き回る元気ないわー、という人が結構な数いるのだ。

 

わたしからすると、土日好きなことをすることで、精神的なバランスをとっているわけだけど…

 

そんな人はわたしに対して

「いいなぁ、かなちゃんは趣味があって」

 というのである。

 

たしかに今の私には、

山という大好きなことがあって、

四六時中山のことを考えていたい!

という感じになってるけど、

山に出会う前は多分そう言うことを言ってくるみんなとおんなじ気持ちだったと思う。

 

特に好きなこともないし、とりあえず広く浅く色々やっていて、これっというものにも出会うことなく、山に出会うまでの22年くらいは過ごしていたのだ。

 

 でもわたしは山に出会った。

 

そこからわたしの生活はほんとうに激変して毎日楽しくて楽しくて、山の人も大好きだし、ほんとに幸せな毎日になった。

 

冒頭でわたしは、

山に登ればいいのに!

 

と言ったけれど、

 

結局は夢中になれるものを、

なにかひとつみんながひとつずつ持っていれば

それでいいと思うのだ。

 

そのなかでわたしは山という方向にたまたま

進んだのであって、

もしかしたらそれは

サーフィンだったかもしれないし、

ダイビングだったかもしれないし、

音楽活動だったかもしれないし、

 

でも、わたしはやっぱり山が大好きなので

みんなに山を勧めたいって思ってしまうのだ。

それで大好きな人たちと山で会えたら

素敵なことだなぁ、と思うのです。

 

アフリカ最高峰キリマンジャロに登った話【きっかけ編】

登山というものに出会ってちょうど2年ほど経った。

 

2年という間に私はどっぷに山の世界にはまってしまって、

最初は小屋泊→テント泊→縦走→冬山登山という

まぁお手本の様にはまって言った。

2年と言っても最初の半年くらいは福岡に住んでいたし、大学の卒業研究も忙しかったので、実質ちゃんとやりはじめたのは社会人になってからなので、一年半ほど。

 

そこには会社の先輩であるNさんの存在は大きかった。

 

私よりも5つ上のN先輩は、社会的にはかなりのイケメンで

あるにも関わらず、山にどっぷりである。

(彼女はいないかもしれないけれど遊んでくれる女の子は山ほどいると思う)

 

入社したての頃、私は大学を卒業し、福岡から大阪に

住む場所を変えたばかりで、関西には友達は少なかった。

 

そんなとき、私はこっちで山登りを始めた。

 

N先輩は入社前から

「入社したら山行こうな〜」と誘ってくれていたので、

1年目のGWには兵庫の氷ノ山に連れていってくれたのです。

 

その後はわたしはN先輩とも山に行きたかったのですが、

いくところの危険度が増していくうちに、

「新入社員で女子のお前を連れてって、なんかあったら責任とれんから」

と、連れて行ってくれる感じじゃなくなってきて。

 

その後は自分でSNSやイベントなどで山友達を作って

いく様になりました。

 

でも、会社で会えば今週はどこにいくだの、

ここの山がよかっただの、

定期的に情報共有していました。

 

そんなN先輩がキリマンジャロに2016年の8月に

お盆を利用して登りに行きました。

 

最初はふーーーん、そうなんだー。すごいなーというぐらいで

全く興味はなかったです。

 

多分自分とは別次元のことすぎて、あんまり

現実味がなかったんですよね。

 

 

時は流れて、その後ツイッターである男の子と出会いました。

名前はしょーたくん。

 

大学生で私よりも年下で、

ですが、意欲的に山登りをしていて、

「セブンサミッツの頂上でジャグリングをする」

というのを掲げていました。

 

あー、面白い子もおるんやなーという思いと同時に

私の脳内である情報と彼が結びついたのです。

 

セブンサミッツで、ジャグリング・・・・?

 

 

 

それはN先輩がキリマンジャロに行った時の話をしてくれた時、

「俺らのグループに大学生なんやけど変な奴がおって、

頂上でジャグリングしとったねん〜」

 

ん・・・・。

 

もしや・・・・・。

 

 

おそるおそる私は彼に連絡を取り

キリマンジャロにいったときNさんていなかった?

私の会社の先輩なんだけど・・・」

 

「あ!Nさんですか!いましたよ〜!まじですか!笑」

 

といった感じでなんだか不思議な縁を経て意気投合し、

一緒に2016年の9月に北岳に登りに行こう!となりました。

 

 

はじめてあったしょーたは、

小柄な少年で、線も細く、山の人、という感じではなく、

どちらかというと美少年系。

とても礼儀の正しい男の子でした。

 

ですが、彼の登山スタイルは独特で、

ありとあらゆるザックの紐がだるだる。

服もなんだか大きし、見てるだけでズレ落ちそう。

 

私が思わず

「え!そんなんで登ると?!

なんで腰紐とかショルダーとかしめないの?」

 

しょーた

「え、締めるもんなんですか?」

 

これでキリマンジャロ登るんだからすごいなぁと思いながら、

勝手に母性本能が働いた私は彼のベルトをきっちり締め

「うん!これでオッケーでしょ!」

とバッチリセッティング。

 

ありがとうございます。と彼は言ってくれたが、

その日の最後にはまただるだるになっていたので聞いてみると

「やっぱり僕にはこっちのほうがいいです!」

と。

 

まあそのだるだるでコースタイム半分ぐらいで登れるなら

それでいいよ・・・笑

 

君の好きに登るがいい!!!

 

と言って笑いあったのを覚えてます。

 

そんな彼とも登山中にキリマンジャロの話を聞かせてもらっているうちに、

なんだかそんな遠くない存在の様に感じられるようになりました。

 

 

北岳登山から1ヶ月経った2016年の10月、

N先輩、M先輩(会社の先輩。Nさんとずっとバディを組んで山に入っている)と立山に遊びに行くことになった。

 

私は登山をはじめるきっかけになったT君を誘って行くことにした。

 

以前からT君にはNさんの話をしていたし、同じくNさんにもT君の話をしていた。

 

4人で行った立山はとても楽しく本当にいい経験だった。

 

その中で話題はキリマンジャロの話に。

T君はこの前一緒に北岳も行っていたのでしょーたともすでに知り合っていて、

ふたりでしょーたからキリマンジャロの話も聞いていたのだ。

 

「ふたりやったらキリマンジャロ全然登れると思うで」

 

そのNさんの一言で私とT君はなんだか火がついてしまった。

 

幸いT君は大学を卒業しており、4月からは社会人だが、

海外旅行に行ったり、白馬にアルバイトしに行くぐらいしか

予定が決まってなかったので、卒業旅行がてら行ってもいいよ、とのこと。

 

となれば私さえ休みが取れれば

 

私たちはアフリカ最高峰キリマンジャロに登れるのだ!

 

 

そこからは周りにキリマンジャロ経験者もいたこともあり、とんとん拍子にすすみ、いまに至る。

 

とまぁきっかけはこんな感じです。

人生何がきっかけでこうなるかなんてわかんないもんです。